教科書としてのテキストは、生徒のためのものであるだけでなく、教える側の先生のためのものでもあります。テキストに記載されている解説が多ければ、それを読み上げているだけの授業に陥りやすいですが、経験不足の先生でもある程度の授業ができるので、ある一定の質の授業は保証されます。けれども、授業の質がそれ以下にならないのはメリットですが、同時に、それ以上になる可能性を奪ってしまうというデメリットも生じるので、メリットを相殺しています。このようなテキストは先生を束縛するので、特に経験豊富な先生にとっては窮屈で、その経験を活かす余地がほとんど残っていません。
テキストが授業に及ぼす影響は大きいので、テキストの質が高ければ、授業の質を引き上げます。けれども、塾や予備校のテキストは、異なる校舎で多くの先生が用いることが前提なので、オリジナルであってもそれほど個性はなく、無難に落ち着いているものが少なくないです。また、塾用教材がテキストに採用されている場合、テキストとして授業で用いることを意図して作成されているわけではなく、テキストというより問題集に近いので、それを用いて授業をすると確実に不都合が生じます。それでも、塾や予備校が塾用教材を採用しているのであれば、生じる不都合に目をつぶり、運営側の都合によって採用しているのだから、授業が最優先ではない可能性が非常に高いです。そして、塾や予備校によっては、「同じ授業」を提供するためにテキストの順守を強く求めることがあるので、先生の個性や経験は期待されていないのかもしれません。それでは、テキストというよりマニュアルです。
本来、授業とテキストは補完関係が成立しているはずですが、実際は、授業とテキストの立場が逆転し、「授業のためのテキスト」ではなく「テキストのための授業」になってしまっていることが多いです。学校の教科書が典型例です。教科書の説明に追われていたり、定期試験の範囲を終わらせるのに精一杯であれば、それはまさに「テキストのための授業」です。テキストに対する依存度が高いと、目的と手段を履き違え、授業の本質を見失ってしまいます。
授業を補完する側としてテキストが正常に機能していたとしても、解説や例文などが多いテキストは特に、授業の学習効果を下げてしまいます。解説や例文などが多ければ、生徒には親切かもしれませんが、その親切が仇になります。このようなテキストがもたらす最大のデメリットは、生徒が授業中に解説や例文などを見てしまうことです。生徒は、解説や例文などを「参考にしている」ととらえ、当然だと思っているかもしれませんが、それは、解説や模範解答を見ながら宿題の問題を解くのと同じです。また、テキストには、解説や例文などの「結果」ばかり並んでいるので、その過程はわからなくても結果だけは知ってしまっています。それでは、生徒が自分自身で考える時間と量が確実に減るので、「わかったつもり」になる可能性を高めるだけです。
先生がテキストを見ながら説明しても、何も不思議なことはなく、普通のこととして受け止められるかもしれませんが、それでは、テキストをただ読み上げているのとあまり変わらないので、「授業でなければできないこと」ではありません。授業では「授業だからこそできること」をすべきです。
GENUINEの授業では、「こだわり」の中でも特に「思考力と地力を鍛える授業」と「生徒参加型授業」を実現するために、それを遮る教科書としてのテキストを用いていませんが、綿密なカリキュラム(「カリキュラムについて」をご参照ください)に沿った学習指導案/板書案(GENUINEでは「学譜」と呼んでいますが、クラシックの楽譜や将棋の棋譜よりもダンスの舞踏譜に近いです)に基づいているので、テキストがないことで不都合が生じることはありません。この「学譜」を生徒用に再編集すればテキストになるので、GENUINEにテキストがないのは、テキストを作成することができないからではありません。テキスト自体の必要性を検討した上で、上記の通り、その必要性を認められなかったからです。
GENUINEにテキストはありませんが、「思考力と地力を鍛える授業」と「生徒参加型授業」を実現するために、考えさせるための材料としての授業用のオリジナル教材は揃っています。受験学年では、「問題が解ける」ことを特に重視しているので、大学受験用の『UNLIMITED』や『UNFINISHED』、そして高校受験用の『精選英語構文』などのオリジナル教材を用いています(「授業の『こだわり』を実現するためのオリジナル教材のこだわり」をご参照ください)。
GENUINEでは、未習内容でも(未習内容だからこそ)、既に習得している知識を最大限駆使して、できる限り考えさせることで思考力と地力を鍛えたいので、基本的に予習をさせていません。予習は、「反転授業」が成立するぐらいでなければ、メリットよりもデメリットの方が大きいです。また、予習よりも復習を重視しているので、予習のためにテキストが必要になることはありません。
復習をするためにテキストが必要だと思われるかもしれませんが、授業中の板書を書き写したノートの方が適しています。このノートを見れば、出席した授業を鮮明に思い出すことができ、「難しかった」などの印象や「嬉しかった」などの感情も同時に蘇ります。また、重要な内容に絞って教えている授業のノートなので、優先順位が高い内容が理路整然とまとまっています。このようなノートほど授業の復習に適したものはありません。だから、GENUINEの生徒にとってテキストに最も近い存在は、このノートです。